JOKER
『JOKER ジョーカー』、を観ました。
考察
とんでもない作品でした。
観終わった後、しばらく言葉にできない、何とも言えない想いで胸がつまりました。
“世界三大映画祭”である第76回ベネチア国際映画祭での公式上映終了後、集まった批評家たちからスタンディングオベーションが沸き起こり、それが8分間も続いたのも納得です。
後のジョーカーであるアーサーを演じたホアキン・フェニックス、正直、この映画を観るまでは知らない俳優でした。
ですが、この演技を見て衝撃を受けました。
圧巻の怪演です。
これぞ、演技を職業としている本物の俳優だと思いました。
余談ですが、ホアキン・フェニックスはあの名作『スタンド・バイ・ミー』の今は亡き名優リヴァー・フェニックスの弟です。
アーサーは病気を患っていました。
幼少期に受けた虐待がきっかけでの脳と神経の損傷による障害で突然笑いだしてとまらなくなってしまう病気です。
この笑いも一瞬は本当に楽しい時のような笑いであり、しばらく続く笑いの中に哀しみが含まれていることがわかる切ない笑いです。
この笑い声が響く度に、アーサーの魂が震えている瞬間だと思いました。
映画全編を通して、腐敗したゴッサムシティの雰囲気と孤独なアーサーのやりきれない、やり場のない気持ちと重厚なチェロの旋律が胸の奥に響きます。
そして、優雅で不気味なダンス。
心優しい純粋な大道芸人がどのようにして“悪のカリスマ”になっていったのか。
そこにはダークヒーローという言葉では片付けられない、深く切ない衝撃の物語がありました。
1981年。
孤独ですが純粋な心を持つ優しいアーサー・フレックは、コメディアンを夢見ながらピエロメイクの大道芸人として暮らしていました。
「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい。」という母の言葉を胸に。
そんな中、アーサーに理不尽なことが起こります。
ピエロ姿で閉店セールの宣伝をしている時です。
街の若者に預かり物の看板を壊され、袋叩きにされてしまいます。
会社からは仕事放棄と疑われ、さらには看板の弁償を求められます。
自分は何も悪くないのに・・・
定期的に受けているカウンセリングの場でアーサーはこう言います。
「狂っているのは僕か?それとも世間か?」
この言葉を聞いた時、私はあの有名な「愛もなくなぜつくった?」と言ったフランケンシュタインのことをおもいました。
彼は毎日ネタ帳を書いていましたが、そのなかに「精神を病んだ者にとって最悪なのは、周りの視線だ。彼らは“普通にしていろ”と言ってくる」と書かれた箇所があります。
アーサーは、同じアパートに住む美しいシングルマザーのソフィー(ザジー・ビーツ)と親しくなり、自分の出演するコメディーショーに招待します。
ですが、いざ自分の出番になると発作(病気)が治まらず、ネタはさっぱりウケませんでした。
それでもソフィーは優しく見守ってくれています。
彼女はアーサーの母が倒れたときも病院で付き添ってくれました。
しかし、その病室でアーサーは憧れのコメディアン、マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)がコメディーショーでの自分のスベリっぷりをテレビでバカにしているのを見てしまいます。
さらにアーサーは母が何度も手紙を書いていた相手に会いに行きます。
しかし、母を知る人は皆、「お前の母親はイカれている」と言います。
そこでアーサーはこう言います。
「僕がほしいのは温もりとハグだよ、パパ」
アーサーは殴られます。
その後、自分が養子であったことを知ります。
そのうえ母は自分の恋人がアーサーへ虐待するのを見て見ぬフリをしていました。
アーサーの脳の損傷は、そのときの後遺症だったのです。
たったひとりの家族と思っていた母への愛と絆を失ったアーサーは、病院で母を殺害します。
どうすることもできなくなったアーサーはソフィーの家へたすけを求めました。
しかしそこに現れたソフィーはよそよそしく怯えていました。
ソフィーとのしあわせな時間はすべてアーサーの妄想だったのです。
もはやアーサーには、守るべきもの、頼るべきものが何一つ残されていませんでした。
この瞬間、ピエロの赤いドーランは人の血へと変わっていきます。
メイクをしているアーサーのもとへ以前の職場の同僚が二人やってきます。
そこでアーサーは以前、自分を裏切ったランドルの喉をハサミでかき切り、倒れた彼の頭を壁に何度も叩きつけて殺害します。
一方、唯一自分に優しくしてくれていたゲイリーは見逃して帰してあげます。
マレーから出演依頼を受けていたアーサーは、楽屋へやってきました。
現れたマレーに、ピエロのメイクと衣装で身を固めたアーサーは注文をつけます。
「呼ぶのは本名ではなく“ジョーカー”と紹介してくれ」と。
こうしてジョーカーとして生まれ変わった悲しい道化師アーサー。
マレー・フランクリン・ショーのスタジオに拍手で迎えられるのを楽しんだ後、彼はこう言います。
「僕の人生は悲劇だと思っていたが喜劇だった」
「社会のゴミのように捨てられた」
「自分が道で死んでいたらお前らは踏みつけていくだろう」
「報いをうけろクソヤロウ」
そう言って、自分を笑いものにしようとしたマレーをテレビの生放送中に射殺します。
収容された病院の小さな部屋でカウンセリングを受けていたジョーカーはまたしても笑いの発作が出ます。
どうしたのか、と聞かれたジョーカーはこう言います。
「面白いジョークが浮かんだ。理解されないだろうけど」と。
そしてダンスをしながら部屋を出ていきます。
社会に見捨てられ、友人、恋人、そして唯一の家族にまで裏切られた時、あなたは正気でいられますか?
あなたの人生は喜劇ですか?
Put on a happy face .